いきなりですが、私は自己肯定感オバケです。
『自己肯定感を上げる方法』というものを何度か見かけたことはありますが、オバケとしてはちょっと納得いかんのです。
そして、オバケは書きたいことが山ほどあることに気づきました。
山ほどありすぎて長文記事になってしまいました。
興味のあるところだけ読んでもらってももちろん大丈夫ですが、私はここに書いたこと全ては連動していると考えています。
出来れば全部読んでほしいところです。
自分を愛す練習してみませんか?
自己肯定感とは?
自己肯定感とは自分自身に対する評価や価値観のことです。
つまりは、自分に価値があると感じているかどうか、自分をどれだけ受け入れてあげられるか、自分を肯定的に捉えることが出来るかどうかということです。
自己肯定感が高い人というのは、
自分をポジティブに評価し、自分の弱点や欠点を受け入れ、それに対して過度に自己評価を下げることをしない能力を持っています。
逆に自己肯定感が低い人は、
自分を低く評価し、そんな自分を受け入れることが出来ず自分を信じてあげることが出来ません。そのため、常に不安感があり幸福感を得づらい状態にあります。
自己肯定感と自信の違い
自己肯定感については上に書きましたが、
これと似ているもので『自信』があります。
この違いが分からず、混同してしまう方の中には、高かったのは自信の方で自己肯定感は実は低いという人が多いかもしれません。
自信というのは特定の能力や知識、行動に対して使われる言葉です。
ある方面には自信があっても、別の方面だと自信がなかったり、今まで経験したことのない場面だと不安を感じて動けなくなることもあるでしょう。
自己肯定感は自分に対する全体的な評価であり、自信とは特定の能力に対して信じる力。
どちらも大事なことではありますが、結構違います。
言葉を聞いただけで、「あぁ自己肯定感ってきっとこれのことか」って自分の中にそれを見つけられた人は、私と同じ自己肯定感オバケかもしれないです。はい。
それを踏まえて、自己肯定感を上げる方法(高い根拠でもある)を考えてみました。
自分の欠点を認めてあげる
人間なら誰しも欠点を持っています。
例えば私は、
- 極度の方向音痴
- 人の顔と名前を覚えられない
- 考えすぎな傾向にある
- 面倒くさがり
という欠点を持っています。
もちろんこれだけじゃなく、それはもう、たくさんの欠点があると思います。
しかし、『欠点を挙げよう』と思ったから挙げただけで、常日頃これらを自分の欠点だと思って過ごしていません。
むしろ、これらは私の愛すべき特徴として捉えています。
- 極度の方向音痴
全然道覚えられないとかかわいくないですか?お店から出た後どっちから来たのか分からなくなるとかかわいくないですか?
(だけど道に迷って遅刻するのは悪いので早めに出発する) - 人の顔と名前を覚えられない
そんな私に覚えてもらったら嬉しくない?特別感ない??
(だけど普通に失礼なので、覚えなきゃいけない人はメモをとったりもする。それでも覚えられない経験多数。) - 考えすぎな傾向にある
人より思考が深い。考えることが無意味なんて無い。
(だけど普通に病むこともあるので、自分の機嫌をとる方法は身につけるよう頑張る) - 面倒くさがり
何事も面倒だから効率よく進めるよう考えることができる。
(そしてどうやったら手間が省けるか考えて実行する。)
むしろこれ全部長所じゃない?
この特徴のせいで相手に失礼になったり、マイナスに出る部分さえ最低限の対応をすれば長所でしかなくない?
つまり、面接の時のアレです。
短所は長所で答えるってやつ。
短所は長所でもあるし、長所は短所でもある。
自分の特徴でしかないわけです。
自分の特徴は自分にしかないもので、
この特徴は親から受け継いだものであったり、自分のこれまでの経験等から生み出された特別なものです。
親のことが嫌いでも、これまでの人生がどういうものであろうと、それはあなたにしかない、あなたにしか持てない特別なもの。
世間的には欠点だと言われるようなものでも、自分自身も外ではそう振る舞っていても、
心の中では大切にしてあげてください。
私もブログ内でよく「面倒くさがりだから…」と書くことがありますが、
実はそんな自分が大好きだったりします。
欠点を改善させたいとき
そう思いつつも、生活していく上で困るからこの欠点は直したいと思っている人もいると思います。
それはそれで全然良いし、むしろ凄い!
直したいと思った時点で、あなたにはその“向上心”があります。
長所に加えてください。
直したいけどなかなか直せない欠点に目を向けるより、直したいと思えた自分を誇ってください。
ちなみに私は欠点を直そうとそもそも全く思ってません。
そんな私より全然偉いじゃないですか!愛でてあげてください。
人は支え合って生きていくものだと開き直る
これは、欠点を直そうと考えていない私の考えです。
私には欠点があるけれど、その欠点を補ってくれる人が周りにいます。
分かりやすい例で言うと、方向音痴な私の周りには方向感覚に長けた人がなぜか多いです。
今まで付き合った彼や親友、なぜか全員地理に強くていつも私を導いてくれます。
そして、彼・彼女たちにも当然ながら欠点と言える部分があります。
それは様々な種類のものですが、私が補える部分は補います。
もちろんそれは苦ではないですし、大切なひとを助けてあげられる瞬間というのは心が満たされる瞬間でもあります。
しかし、たまに同じ欠点を持った人が周りにいることもあります。
これは補い合うことができません。
こういった場合、人は相手のことが大切で同じ時間を過ごしたいと思っていたら、無理に努力せずとも無意識に自分が直していることが多いんですよね。
例えば、お金にルーズな欠点を持っていても、
自分より更にお金の管理が出来ない彼氏・旦那さんと一緒にいたら、いつの間にか治っていた
みたいなことってよくある。
私は掃除が出来なかったりお酒を飲みすぎたりといった欠点も過去に持っていましたが、私より更に出来ない人との出会いでいつの間にか直ってました。
その人と時間を過ごすうちに、ここは自分がちゃんとしなきゃってなってくるんですよ。
なので、方向音痴な私の周りには方向感覚に長けた人が“なぜか”多い
と書きましたが、多分これは逆に、相手が自分に合わせてくれた結果ではないか?と思ったりもします。
私と一緒にいたら、『自分がちゃんと覚えておかないと大変なことになる』と思うのかもしれない。申し訳ねぇけどありがてぇ。
こんな感じで、人って支え合って補い合って生きていくんです。
家庭も恋愛も友情も仕事も全てそう。
だから欠点を無くさなくて良いし、隠さなくて良い。
隠してたら逆に人が寄ってこないってこともありますしね…
それは逆に特徴がないとも言えるわけで…
“自分”というものを確立する
自分を持つ、芯を持つ、って大切なことですよね。
でも「それって一体なに?どうやったら持てるの?言葉があやふや過ぎて訳分からん」って人もいるかもしれないので、
私の考える『自分を持つ』について深掘りして書いてみようと思います。
自分独自のルールを持つ
法律は皆さん守ってるはずです。
世間の言う”ルール”は法律だけでなく、道徳的なもの等たくさんあると思います。
私は法律があるから法律を守っているわけではなく、自分で『法律は犯さない』と自分で決めているから法律を守っているのです。
聞こえてきます。皆さんの声が。
意味わからんぞ、と。
私のルールには法律以外のものもあるのです。
そこに『法律を守る』というルールも同列であります。
人から「してはいけない」と言われたから「しない」ではなく、
自分で定めたルールだから「しない」のです。
もちろん実際は、このルールを定めていなくても法律は守らなければなりません。
考え方の問題です。
ちなみに私のルールの軸になっているのは、
- 親友に言えないことはしない
- かっこいいかかっこ悪いかで判断する
この二つです。
昔からなんでも話せる親友にさえ言えないことというのは、それは人としてやってはダメなこと以外に無いので、私はこれを分かりやすいルールとして定めています。
そして、この言動はかっこ悪くないかどうか?で自分の判断をジャッジします。
これは次の章で書きます。
今の自分はかっこいいか、かっこ悪いか
例えば、仲良くしている友達の悪口を他の場所で言うのはかっこいい行動でしょうか?
これは自分の感覚では「かっこ悪いこと」なので、やりません。
これは私の中でめちゃくちゃ重要なルールです。
この、かっこいい・かっこ悪いというのも、全て自分の感覚で決めます。
上に書いたような、友達の悪口を言うことをかっこ悪いと思わない人だっていると思います。それはそれで全然良いのです。
人が自分の”かっこいい”から外れた行動をとっていても、私は特に何も思いません。
私が私の行動を見張るためのルールであって、人のことを測るルールではないのです。
これは、自分が自分のことを好きでい続けるためのルールです。
私はこの、『かっこいいかどうかルール』我ながら優れていると思っているので是非皆さんも実践していただきたい。
自分のことを可愛いな〜とか賢いな〜って思うより、一番自分を愛せるのって、”かっこいい”だと自分では思ってる。
人の意見は基本的には聞かなくていい
もうこの記事を丸ごと否定するようなことを言いますが、人の意見なんか聞かなくて良いです。基本的には。
聞かなくて良いというのは、
私は人に意見されても絶対に聞かないぞ!と意気込むことではなくて、
『別に聞かなくても良い』ということで、つまりは『聞いても良い』ということです。
聞きたくなるような意見を言ってくれる人は、ちゃんと人を見ている人だと思います。
相手に合わせて、相手が聞き入れやすいように、そして伝わるように話してくれているからその意見を聞き入れたくなるのです。
なので、そんな相手が言ってくれたことというのはあなたにとって有益な可能性が高いのではないでしょうか。
意固地に人の意見を聞かないのではなく、取り入れるか取り入れないか、あなた自身が決めて良いのです。
達成感を育む
達成感を感じることで、成功体験を積み重ねて自分を肯定的に捉えることができます。
達成感を得るのって難しそうに感じますけど、これが結構簡単で私は記事内に挙げた中で、自己肯定感を上げる一番の近道なんじゃないかと思います。
以下は私が実際に実践している方法です。
毎日達成できるタスクを設ける
私は毎日いくつかのタスクを設けています。
それは、ほとんどが仕事の内容ですが、その中に『ほぼ確実に達成できるタスク』も忍ばせておきます。
忍ばせるといっても、タスクを作るのもやるのも私なんですけどね…
ほぼ確実に達成できるタスクというのは例えば、
- ブログの記事を1文字でも書く
- 野菜を少しでも摂る
- 動画の続きを一話でも見る
こんな内容でも大丈夫です。
仕事や勉強の内容であれば尚良いですが、お休みの日だと何も達成できないかもしれない日というのもあると思います。
私は仕事や勉強でタスクが既にあるときでも、こういったちょっとしたタスクも書いておきます。
こんな内容のタスクでも、達成のチェックをする瞬間や一日の最後にタスク一覧を眺めた時に達成感を味わうことができます。
しょうもない内容のタスクに見えるかもしれませんが、
- ブログの記事を一文字でも書く
仮に本当に一文字しか書かなくても書く癖の継続のためになる。 - 野菜を少しでも摂る
健康のためになる。意識して摂ることで満たされ感あり。 - 動画の続きを一話でも見る
趣味の時間を設けることも大事。
と、無駄なタスクでは決してありません。
どんなにしょうもないと思えるタスク内容でも、自分にプラスになる要素があると思うのでそれを見つけましょう。(こじつけるとも言う)
そうすると例え今日のタスクがこの3つだけだったとしても、
一日の最後に「今日はブログも書いたし健康のために野菜食べたし趣味の時間も作れたぞ!!」と思えます。
例え日常に近い一日だったとしても、です。
タスクが管理できるアプリを使用しても良いですが、
出来ればスケジュール帳など紙として残していくのがベストです。
自分の手で書いて自分の手でチェックマークをつけて、達成したタスクがどんどん溜まっていくというのが一番達成感を味わうことができます。
『毎日頑張って生きてる自分』を可視化して、「そんな自分、偉い!」と思ってあげられる環境作りをしてあげましょう。
この環境作りを”自分のためにしてあげる”だけでも、それは自分を大切にできている時間となります。
目標がある人はそれに少しでも近づく
意識高い系の人は、
夢を口にしていこう!周りの人にも伝えることで夢に近づくし自分の逃げ道も塞げるよ!
とよく言ってるの聞いたことないですか?
私は意識高くもないし無言実行派なので、それをすることはないですが
そういった方々に影響されて、私に夢や目標を語ってきた知り合いは何人もいました。
しかし、このほとんどの人が「熱く語ってたけどもう忘れてるみたいだな…」ってパターンばかりでした。
その人が本当にそれを忘れられるなら良いのですが、『あの時あんなに熱く語ったのに何も努力できていない自分』を忘れられていなかったら…
そういう自分をカッコ悪いと思いながらもその自分と向き合おうとせず本当の自分から逃げてしまうと、自己肯定感はどんどん下がっていきます。
自信過剰なのと自己肯定感は別物なので。
ほとんどの人は夢を叶えるまで努力を続けることができません。
そんなもんです。
逃げ道を塞いだつもりでいても、逃げ道は無数にあります。
自分から目を逸らせばいつだって逃げられます。
そんなことより、少しでも勉強した方が目標にも近づくし自己肯定感も上がります。
別に何時間もしなくて良い。数分でも良い。叶わなくても良い。途中まででも良い。
それだけでも達成感を味わうことができます。
毎日達成感を得られて自己肯定感が上がっていけば、『自分ならやれば絶対できるから、やってみよう!』と本気でそう思えてきます。
ぼやっとそう感じるのではなく、過去の経験の積み重ねからそう確信できるのです。
そうすると努力することが楽しくなってくるので、無理に意識せずとも日常的に目標に近づく行動をとれるようになってきます。
まずは何も出来ていない自分を受け入れて、そんな自分も愛すところから始めてみるのも良いかもしれません。
それも立派な努力です。
相手を下げてイジるコミュニケーション環境を極力避ける
自分の容姿は人より劣っているから、『ブスキャラ』『デブキャラ』の立ち位置で居場所を見つける。
過去の経験から、いじめられるよりマシという方もいると思うので否定はしませんが、互いに自己肯定感が上がる良いコミュニケーションか?と言うとそうとは言えません。
「私はこのキャラに自信を持っているし、本当は愛されていることも分かっているのでそういうイジリも嬉しい」
という方もたくさんいらっしゃると思います。
そういう方に考えてみてほしいのは、もしメンタルがズタズタな時にも同じことが思えるか?ということです。
人間誰しもどん底に落ち込むような出来事が起こる可能性があります。
そんなギリギリの状態の時に、冗談でも「ブス」と言われ続けたら…?それを見て周りが笑っていたら…?
精神的に正常な状態の時には気づけないこともあり、落ち込んでいるからこそ気づけることもたくさんあります。
落ち込んでいる時にだけ心が削られているわけではなく、正常な時でも少しずつじわじわと心は削られていってしまいます。
そして、ブスと言われるのが自分の中で当たり前になっていくと、例えば彼氏が出来てその人にそう言われても当然のこととして受け止めてしまい、相手の本質を見抜くことが出来なくなります。
また、自分が言われて当たり前の環境にいると、自分もいつか言う側に回ってしまうかもしれません。
もしかすると自分の子供に言ってしまう人間になるかもしれません。
今はそんなことしないと思えても、環境・慣れというのは恐ろしいもので、いつのまにか人を変えてしまうものです。
あなたの容姿をジャッジして良いのはあなただけ
あなたの容姿をいじって笑う人に、笑顔を向ける必要はありません。
ですがもしかすると人にどう思われているかではなく、あなた自身が、自分の容姿に問題があると思っているかもしれません。
そんな時にダイエットしたり、メイクを練習したり、整形したり、そういった行動はあなた自身がジャッジした上での行動だと思うので
それは素晴らしいことだと思います。
自分の理想に少しでも近づけたら嬉しいですもんね。
これは逆に自己肯定感を上げる行動だと思います。
でも自分の容姿に何かしらの悩みがある場合は、そこばかりに目を向けすぎないようにしてくださいね。
出来れば、その悩みを解決する方向や、カバーする方向で考えていきましょう。
周囲の人を大切にする
自分を大切にするというのは、
自分が大事に思っている人を大切にすることも含まれます。
大事に思っているはずなのに、その人が傷つくようなことをしてしまったり、尊重しなかったりしてしまうと、それは自分へ返ってきませんか?
それは相手からも同じ扱いをされるというのも当然ありますし(これは当然なので割愛します)、
それ以前に『相手を大切に出来なかった自分』を自ら責めてしまいませんか?
私もそんな後悔をしてしまうことがたくさんあります。
これ自体は、誰かを大切に思っていたらみんなが感じることなのではないでしょうか。
相手を傷つけてしまった後の考え方が重要
人と関わっている以上、どんなに気をつけていても人を傷つけてしまうことはたくさんあると思います。
傷つけてしまった後に後悔したり自分を恥じたり、すごくモヤモヤした感情が湧いてくると思います。
そんな時に、「でもあいつもこういうことをしてきたしいいか」「前はあの子に同じようなことを言われてこっちが傷ついたし別にいいよね」
こんなこと思ってしまったことないですか?私はあります。
これは明らかに、自分の後悔から逃げるための思考だと思います。
このことに関して、過去に相手から何を言われたかは自分の自己肯定感の上下に関係ありません。
自分が悪いことをしたと思って、それを後悔する気持ちがあるのにも関わらずそれと向き合わずに逃げ続けていると、自己肯定感は下がります。
逃げるのではなく、
- 謝罪の気持ちを伝える
- もう同じことを繰り返さないよう改善策を考える
- 自分がなぜそんなことを言ってしまったのか自分を見つめ直す
できることはたくさんあります。
これは全て、相手のためではなく自分のための思考、行動です。
傷つけてしまったことから逃げた自分より、こういうことが出来た自分の方が好きになれそうじゃないですか?
とにかく自分を好きになれる言動を意識すれば、
それはあなたが大切に思っている人のためにもなる言動である可能性が高いと思います。
最後にどうしても言いたいこと
冒頭で、私は自己肯定感オバケだと宣言しましたが、
それは「私は落ち込まない」という意味ではありません。
常に人の目を気にしないというわけでもないし、一切人と比べて嫉妬したりしないというわけでも、常に努力しているわけでも、自分のルールから一度も外れたことがないわけでもありません。
大切なのは、そんな自分を全て受け入れるということだと私は思っています。
もしかしたら受け入れられないような自分と出会うことがあるかもしれません。でも、それでも『受け入れられない自分』だけは受け入れてあげたいと思っています。
また、私は自分が育ってきた家庭環境や周囲の人に恵まれていると自覚しています。
元々持っている自己肯定感の高さは家庭環境にも大きく左右されます。
なので、私は『自己肯定感を高められる私は優れている人間だ』とは決して思えません。
『自己肯定感を上げる方法』はネットで検索すれば山ほど出てくると思いますが、私は私の体験と視点から、全て自分の中から出てきた言葉で書きました。
環境に恵まれていた私の書いた記事です。
なので、全ての人にあてはまることではないかもしれないし、参考にはならないかもしれないけど、
少しでも何かのヒントになれば…と思い書いた次第です。
自己肯定感を上げる方法まとめ
とりあえず今思い出せる範囲のことを書き連ねました。(十分長い)
自己肯定感を上げる方法をまとめると、
- 自分の欠点を認めてあげる
- “自分”を確立する
- 達成感を感じる
- 相手を下げるコミュニケーションを避ける
- 周囲の人を大切にする
です。
もうほぼ無意識にやっていることも多いので、自覚し次第、追記もしていこうと思います。
ここまで読んでくださってありがとうございました!